施設について
外観
小松島栄光教会では、毎週日曜日に礼拝をおこなっています。キリスト教の神さま「イエス・キリスト」を信じる人たちのあつまりですが、『信じたいわけではないんだけど』『ちょっと興味があるだけ』という方もお気軽にご参加ください。
また、毎月第二日曜の礼拝は「賛美伝道礼拝」といって、信じていない方々も気安く参加して頂けるような礼拝プログラムでお送りしています。(賛美歌、信徒の方の信じた経緯などのお話しetc…)どなたでも歓迎いたします。

駐車場
広々とした駐車場がありますので
安心してお越しください。
教会敷地内に35台駐車でき、駐輪も十分可能です。
混雑が予想される特別な集会の場合などは、
向かいの空き地をお借りして45台程度駐車できるようにいたします。
安心してお越しください。

受付
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ホール
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礼拝堂
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バリアフリーについて
会堂、食堂、トイレのある1階は
すべてバリヤフリーで、
身障者用トイレも備えています。

日本イエス・キリスト教団のルーツ

英国で日本宣教のために教派団体を超えての協力があり、バークレー・F・バックストン宣教師(英国聖公会司祭)を中心に日本での宣教活動が始まり(1890年)ました。やがて英国で「日本伝道隊」が組織(1903年)されました。
11月22日号紙面:特集「宣教師バークレー・バックストン」日本の救いのため、彼はいかに多くを放棄したか | クリスチャン新聞オンライン
2015年11月22日号 04・05面 バークレー・フォウェル・バックストン。19世紀の終わりに宣教師として日本に来日し、その後の福音派教会の信仰にあまりにも大きな影響と足跡…

その宣教活動の結果として形成された教会は「日本人による教会」として日本人牧師にゆだねられ、相互に友好関係を持ってきました。そして、1951年に「日本イエス・キリスト教団」として創設されました。
教派を超えた協力の中で生み出された教会といえるので、歴史的な「教派」のルーツはないともいえるかもしれません。

小松島栄光教会のはじまり
小松島栄光教会の開拓者は「阿部コト」牧師です。阿部コト牧師が開いた「特別伝道集会」というキリスト教のことを伝える集会がはじまりです。小松島小学校講堂で4日間にわたって行われた集会では、敗戦後の宗教ブームもあってか29名の人が受洗の決意を行いました。
教会は元うどん屋の小さな建物を購入し「小松島二条通教会」と名付けられました。拠点ができたことで足が地に着いた活動ができるようになり、幸いなことに間もなくその建物も手狭になりました。
やがて近くに60坪ほどの有望な土地を見つけ、与えられるように祈り始めました。当時としてはその購入金額は、まったく手の届かないものであり、資金のあてもありませんでしたが「必要ならば全能の神が与えて下さる」という信仰を教会員一同が持つことで、土地の購入に充てる資金を作り土地を購入することができました。
1958年9月に出来上がり、小松島栄光教会の歴史が始まりました。その後、牧師居住室や台所の増築を行い、徳島市前川町に伝道所を作り、開拓伝道にも励みました。
徳島伝道所の80坪の用地に加えて、隣接地200坪を購入して会堂を建て、1988年独立し、徳島栄光教会となりました。世は車社会になり、多くの人を集める教会も駐車場問題が浮上してきました。
裏の隣接地の60坪の候補地がありましたが「新しい場所に移って広く駐車場のとれる土地を」との意見もあり、その選択肢広げました。不動産屋さんに、数えきれないほどの候補地を紹介していただき、金額的に無理と思われていた現在の喜来を、神の恵みと奇跡の導きよって400坪の広い土地を購入し、平成10年6月、30台以上の駐車場を備えた会堂を建て、喜びの献堂式を行い、今日に至っています。
小松島栄光教会の信仰告白
わたしたちは、信じて告白します。
旧新約聖書は,すべて神の霊感を受けて書かれた、誤りのない神のことばであり、キリストをあかしし、福音の真理を示すもので、教会の拠って立つただ一つの正典です。聖書は、わたしたちに、神と救いについて完全な知識を与えるものであり、信仰と生活の規準です。
主イエス・キリストによって啓示され、聖書にあかしされた唯一の神は父と子と聖霊の三位一体の神であり、その本質において同一です。
イエス・キリストは神のひとり子であり、わたしたちを罪から救うために人となり、身代わりとなって十字架にかかり、ただ一度ご自身を完全な犠牲として神にささげ、あがないを成就されました。その復活は、永遠のいのちの保証です。天に昇られた主は、キリストの日に至るまで、わたしたちのためにとりなしておられます。
わたしたちは、神の恵みにより、ただキリストを信じる信仰によって義とされ、罪をゆるされ、神と和解し、新たに生まれて神の子とされます。わたしたちは、キリストの血によってすべての罪からきよめられ、神のものとされ、聖霊のバプテスマを受け、その内住による全き支配によって主のかたちに変えられていきます。主は再び来られ、わたしたちをご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて、永遠のみ国をつぐ者とされます。
教会は、キリストのからだであって、神に召された聖徒の集まりです。教会は、公同の礼拝を守り主の命にこたえて、福音を正しく宣べ伝え、聖礼典を行ない、聖徒をととのえ、主に仕えつつ愛のわざを励み、主が再び来られるのを待ち望みます。
わたしたちは、このように信じ、代々の聖徒と共に、使徒信条を告白します。
使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女<おとめ>マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府<よみ>にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。
聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、永遠<とこしえ>の生命を信ず。アーメン。
使徒信条(しとしんじょう)は、キリスト教西方教会(カトリック教会・プロテスタント)のほとんどが重んじる基本信条のひとつです。別称、使徒信経とも呼ばれます。
所属教団について
「主の祈り」と「使徒信条」
主の祈り
「主の祈り」とはイエス・キリストが教えてくださった祈りです。
主の祈り
ねがわくは 御名をあがめさせたまえ
御国を来らせたまえ
御心の天になるごとく
地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を 今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を 我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いいだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン
使徒信条
「使徒信条」とは「私たちはこのように信じています」という信仰告白です。
使徒信条
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、
三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、
全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、
罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命を信ず。
アーメン
